配電盤

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下) - 毎日jp(毎日新聞)


村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)

カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター
カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター

 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)


ウィキリークスの公電ページに日本発の公電14通を掲載。



http://www.wikileaks.ch/reldate/2011-05-07_0.html



06TOKYO442 JAPAN CONDUCTS NUCLEAR TERRORISM DRILL AT PLANT ON

2006-01-27 2011-05-07 SECRET Embassy Tokyo

06FUKUOKA9 NUCLEAR ENERGY POLITICS IN WESTERN JAPAN: KYUSHU ELECTRIC’S

2006-02-09 2011-05-07 UNCLASSIFIED Consulate Fukuoka

06TOKYO1592 LOCAL COURT ORDERS SHUTDOWN OF NUCLEAR REACTOR

2006-03-27 2011-05-07 UNCLASSIFIED//FOR OFFICIAL USE ONLY Embassy Tokyo

06TOKYO6346 CIVIL PROTECTION DRILL IN IBARAKI PREFECTURE

2006-11-02 2011-05-07 UNCLASSIFIED Embassy Tokyo

06TOKYO6730 VISIT TO JAPAN,S KASHIWAZAKI-KARIWA NUCLEAR POWER

2006-11-27 2011-05-07 CONFIDENTIAL Embassy Tokyo

07TOKYO19 VISIT TO JAPAN’S SHIMANE NUCLEAR POWER PLANT,

2007-01-05 2011-05-07 CONFIDENTIAL Embassy Tokyo

07TOKYO805 NUCLEAR TERRORISM CONVENTION: “”NUDGE”” COULD HELP

2007-02-26 2011-05-07 CONFIDENTIAL Embassy Tokyo

07TOKYO3263 JAPAN: NUCLEAR POWER: EARTHQUAKE CAUSES FIRE AND

2007-07-17 2011-05-07 UNCLASSIFIED Embassy Tokyo

07TOKYO3296 JAPAN: NUCLEAR POWER: ADDITIONAL MISHAPS AT

2007-07-18 2011-05-07 UNCLASSIFIED Embassy Tokyo

07TOKYO4442 U.S./JAPAN DISCUSSIONS ON PHYSICAL PROTECTION AND

2007-09-25 2011-05-07 CONFIDENTIAL Embassy Tokyo

08TOKYO498 PHYSICAL PROTECTION: MOFA SUPPORT FOR US/JAPAN

2008-02-26 2011-05-07 CONFIDENTIAL//NOFORN Embassy Tokyo

09SAPPORO30 TOMARI: JAPAN’S NORTHERNMOST NUCLEAR COMMUNITY

2009-07-29 2011-05-07 UNCLASSIFIED Consulate Sapporo

09TOKYO2718 MOFA DG UMEMOTO ON SECRET AGREEMENT INVESTIGATION

2009-11-27 2011-05-07 CONFIDENTIAL Embassy Tokyo

10TOKYO228 U.S.-JAPAN SECURITY SUB-COMMITTEE MEETING

2010-02-04 2011-05-07 SECRET Embassy Tokyo

ウィキリークスが、日本原発の黒い歴史を大量放出 | PBR (via nakano)


0.02%の嘘

水を飲んでも大丈夫?誰かにこう問われ、僕は一瞬迷い、大丈夫だよと答える。これぐらいなら大したことないよ。一瞬の躊躇を見抜いたのか、相手は怪訝そうな顔をする。

理由を一生懸命説明する。今伝えられているような放射線の量では滅多な事じゃガンにはならない。はっきり影響が出るような数字には全然足りない。不安そうな表情は消えない。彼らや彼女たちが聞きたいのは解説なんかじゃない。ただ安心したいだけだ。言葉は空しく虚空に消えていく。

本当に?
うん、大丈夫だよ。

少しだけ良心の呵責を覚える。僕はたぶん嘘をついている。

日本では約1/3の人がガンで亡くなる。「あなたは福島原発の放射線が原因で、ガンにかかって死ぬかもしれない」この予言は後半は1/3の確率で当たり、前半は決して証明できない。たとえば10万人が1mSvの放射線を浴びるとガンで亡くなる人が5人増える。残りの約3万人は別の原因でガンになって亡くなる。両者を見分ける方法は無い。低線量放射線の健康への影響というのはこういう形で出る。ちなみに、1mSvというのは通常一般の人が自然放射線以外に1年間に浴びていい放射線量にあたる。

僕はこの10万人に「あなたは将来、放射線が原因でガンになって亡くなるかもしれない」と吹聴して回ることが正しいことなのかどうかよくわからない。この宣告は事実だけれど、たぶんこれを聞く人々は違うメッセージを受け取るだろう。不幸にもガンにかかってしまった人たちは、自分のガンは原発が原因なのかと不安になるかもしれない。でもその不安が本当に正しいのは3万人のうち5人だけ。そしてその5人が誰なのかは誰にもわからない。

本来1mSvという数字から受け取るべきなのは「私のガンは原発が原因ではないだろう」というメッセージだ。純粋に数字だけ比べればこちらの方が圧倒的に正しい。なにしろ99.98%は正しいのだから。でも実際にガンにかかってしまった人はそうは信じないだろう。わたしはその5人のうちの1人なのかもしれない、という恐怖はあまりにも大きい。あの時あの場所にいたからガンにかかったのではないか?Yesという答えは99.98%の嘘を含み、Noという答えは0.02%の嘘を含む。常識で考えれば、選ぶべき答えは間違いなく後者だ。でも人は前者を信じることを止められない。

不安?そりゃそうだ。こうやって理屈をこねている僕だって、99.98%の嘘を信じないでいられる自信なんてない。

実際には、100mSv以下の被曝は統計の誤差に埋もれて分からない。もしかしたら、100mSv以下では人間の自己修復機能が十分に働いて全く影響がないのかもしれない。そう考える学者もいる。誰も本当の答えを知らない。でもとりあえず判断をするにあたって、安全側に振って、どんなに低い放射線量でもガンの発生確率が上がるという前提で考えましょうという約束になっている。

100mSvで致死ガン発生率0.5%という数字と100mSv以下の被曝は健康に影響がないという言葉が両立してしまうのはこういう理由。これはどちらも正しい。0.5%の違いはガンの死亡率にはまったく影響を与えない。その程度の増減は最初から数字の中に含まれている。誤差の範囲というのはそういう意味だ。でもこれは、あなたが放射線の影響でガンで死ぬ可能性がゼロだということを意味しない。

ちょっと大げさな話。たとえば、バナナを1本食べると、バナナに含まれるカリウム40によって約0.1マイクロシーベルト被曝する(バナナはほかの食品に比べてカリウム40の含有量が少し多い)。これは、あなたがバナナを一本食べるたびに0.0000005%ガンで死ぬ確率が高まるということを意味する。バナナを食べたことがない人というのはなかなかいない。だとすれば、少なくともガンで亡くなる人約200万人に1人はバナナの放射線が原因で亡くなっている計算になる。あまりに馬鹿げた計算だけれど、放射線によるガンの罹患率にしきい値がないという仮説に立つなら、この計算は正しい。

ちなみに、カリウム40はあなたの体にも含まれている。カリウムは人の体を構成する必須元素であり、必然的にその放射性同位体であるカリウム40も一定の割合で体の中に含まれる。あなたは6000ベクレルの放射能を持つ放射性物質だ。あなたが自分自身に与える放射線の影響は年間の放射線量に織り込み済みなのであまり関係ない。でも、もし誰かがあなたを食べたら、32μSvの被曝を受け、ガンで死ぬ確率が0.000002%ほど高まるはずだ。

いや、バナナのことは忘れよう。あなたをガジガジ齧る誰かのことを心配するのはやめよう。数字は随分小さいから、多少バナナを食べたところで健康には何の影響もない。たぶん、バナナの放射線で死ぬ前に、バナナの食べすぎで体を壊す方が先だ。

では、どこに線を引けばいいのだろう?1本当たり20ベクレルのカリウム40を含むバナナなら笑って済ませられる。でも、たとえば1リットル当たり300ベクレルのヨウ素131を含んだ水道水は笑えない(原子力災害時の摂取制限値)。この水道水を毎日1リットル1年飲み続けると3.2mSvの被曝になる。バナナを毎日50本とか60本食べる人はそうそういないけれど、人は毎日数リットルの水を口にする。数ヶ月ぐらいならどうってことは無いけれど、こういう水を何年、何十年と飲み続けるのはやめた方がいい(幸い今回、水道水はまだここまで汚染されていない)。

「安全」の閾値なら引くのは難しくない。統計上、ガンの発生率が無視できる数字というのはある。たとえば、さっき書いた100mSvという数字。致死ガン発生率0.5%。統計上はこれ位ならあなたがガンで死ぬ確率は変わらないといえる。でも、200人に1人というのは安心には程遠い。では、「安心」の閾値はどこに引けばいいだろう?

たとえば、喫煙はガンのリスクを倍にするといわれている。公衆衛生という観点から言えばとても無視できる数字じゃない。でも、それを知っていてもたばこを吸う人はいる。飛行機が墜落する確率は自動車事故に会う確率に比べれば無視できるほど小さいけれど、それでも飛行機での移動を避ける人はいる。両者を笑うのは簡単だけれど、それは何も解決しない。

でも、どこかに線を引かなくちゃいけない。たとえば100mSvの1/100。1mSv、0.0005%、10万人のうちの5人。その程度なら放射線の影響で致死性のガンにかかるリスクは無視できるだろうか。それぐらいなら、大丈夫だといっていいだろうか…

そして僕は小さな嘘をつく。0.02%の嘘を。

僕は目の前にいる誰かに安心してほしいと思っている。僕は言葉を重ね、その結果その人は自分でその線を引くことを止め、判断を僕に託した。僕はそのことを責めることはできない。それがその人の選択なのだから。

そして、僕はその人に言う。大丈夫、そんなに怯えなくていいよ。大丈夫、これくらいは大したことないよ。

この言葉にはほんの少しだけ嘘が混じっている。1mSvで0.02%。いや、ただ単に嘘と呼んでしまうにはあまりに希薄で、かといって知らないふりができるほど小さくはない何か。僕はこの感情とうまく折り合いをつける方法をまだ見つけられずにいる。

—-

(この文章は何らかの安全基準を提供する目的で書かれたものではありません。数値は国内基準値を参考に保守的な値を取っています。また登場する会話は実際にかわされたものではありません)

Referance

辻本 忠、 草間 朋子 『放射線防護の基礎 第3版』 (日刊工業新聞社 2001)

緊急被ばく医療ポケットブック - 緊急被ばく医療研修 (放射線災害医療研究所)

放射線の確定的影響と確率的影響 (09-02-03-05) (原子力百科事典ATOMICA)

team nakagawa (東大病院放射線治療チーム)

Banana equivalent dose (Wikipedia)

2011.04.19 KASHIWAI, Isana

0.02%の嘘

isana さんの文章を丸ごとQuote.

ここのところ放射線の影響について語る文章を読んでいて、もやもやと感じていた部分がすっきりと晴れました。

(via vmconverter)


甘えの構造
2011年04月12日07時40分
岩瀬大輔/アゴラ

より全文引用


震災から1ヶ月が経過した。あの日から世界が、見える風景がガラっと変わってしまったように感じることがある。

しかし、実際には、ほとんどのことは変わっていない。特に、日本経済が抱える構造的な課題は、3月10日から何ひとつ変わっていない。

そして、それらの構造的な課題を克服するために必要なすべての施策について、「いやだ」と反対を続ける日本人のメンタリティも変わっていない。毎年40兆 円しか収入がないのに90兆円も使い続けたら辻褄が合わないことは小学生でも分かることだが、収入を増やそうと増税を提案しても、「財務省の陰謀」「先に削るべき無駄があるはずだ」と反対する人たちが多くいる。

収入が増えないなら支出を減らすしかないのだが、もっとも大きな支出である年金を減らすために受給開始年齢を引き上げようとしても、高齢者が反対する。

次に大きな支出である医療費について、保険料を上げるか、自己負担を増やそうとしても、「弱いものいじめ」「姥捨て山」と反対されるので、実行できない。

ならば医療コストを合理化しようと、レセプトの電子化や、医療データの開示を迫ってみても、(無駄な投薬や検査を指摘されかねない)医師会が猛反対する。遠隔医療を実現しようと思っても、しかり。

支出を減らせないので、やっぱり増税できないかと考え「まずは公務員が身を削れ」という主張を実現しようと思っても、労働組合が反対するから人員削減も給与カットもできない。

それなら上げ潮路線で行くしかないので、企業に頑張って稼いでもらおうと、できるだけ競争しやすいように減税したり雇用コストを下げようと思っても、「大企業優遇」と労働組合とマスコミが反対するので実行できない。

企業経営に緊張感を持ってもらおうと、市場を通じた経営監視機能を高めようとすると、今度は大企業経営者が猛反対する。結果、皆がジリジリ沈んでいく。「企業の競争力強化」がまっとうな政策として取れないのは、日本くらいではないか。

ならば莫大な金融資産を活用することで投資で稼いでいこう、と思って資本市場で投資ファンドが活躍し出したら「汗をかかないでお金を稼ぐのはけしからん」という風に検察も裁判官が反対するので、投資家が日本の資本市場から去っていった。

新しい産業を創ろうとちょっと尖った生意気な起業家が出てきたものの、本当に社会を変革しうる核心部分に迫ろうとしたら、メディアに猛反発を受け、司法の助けも借りて刑事犯罪人に仕立て上げられてしまう。

農業や医療・介護といった分野で規制の見直しをすることで新産業を育成しようとしても、業界が反対するので、実行できない。しょうがないので、政府の成長 戦略と称して「グリーン・イノベーション」やら「ライフ・イノベーション」やら、誰も反対し得ない空虚な言葉を掲げ、お茶を濁す。

少子化で人口が減って行くのが困るので、移民を促進しようと思ってみても、外国人の看護師試験合格率は4%と、司法試験並にハードルを上げて、導入を事実上拒む。

結局、国民全員がいやいや駄々をこね続けるので、今は文句を言えない子供たちに負担を押し付けることになる。

この国を変えるのは、容易ではない。官僚が悪いとか、デフレが悪いとか、日銀が悪いとか、スケープゴートを見つけてきて、その一つを直せばいいようなことではない。

国民が聞きたくない真実をつきつけ、正しい方向に導くことが、政治家、メディアの責任ではないか。そういう政治家、メディアを支持するのが、国民の責任ではないか。

私たちは、ひとつひとつ、自分ができる小さなことから変えていくしかない。


以上引用終わり。


いやぁ。
わかりやすい。
その通り!なので。
全文引用させてもらった。(例のごとくなんの断りもなく。。。)
で。
遊佐の激しく同意は最後の一行を除いてね。。。
「私たちは、ひとつひとつ、自分ができる小さなことから変えていくしかない。」

いやぁ。。。無理w。
無理だって。
だから一度あきらめよう、日本。


為替王様のブログよりこれまた引用

Q: ポルトガルなぜ財政破綻の危機に陥ったのですか?
A: 巨額の赤字を抱えていたポルトガル政府は、財政再建に向けて頑張ろうとしていました。しかし2011年3月、赤字削減のための政府案が議会で否決されました。

Q: 赤字削減しないと破綻することがわかっているのに、なぜ否決されたのですか?
A: 赤字削減策とは、年金や人件費のカット、公的サービス料金の値上げや増税など、いずれにせよ国民に負担を強いる政策です。国民の不満に便乗する形で野党が強く反対して否決されました。

Q: その後どうなったのですか?
A: すでに下落傾向にあったポルトガル国債がさらに暴落。自力での再建が不可能な状態に陥り、2011年4月、ポルトガルはEUIMFなど国際機関に救済されることになりました。

Q: 救済費用はどれくらいですか?
A: 日本円で10兆円を上回ると見られています。

Q: ポルトガルは救済されるだけで、何も負担しないのですか?
A: いいえ。救済してもらう見返りとして、「ポルトガルの財政赤字削減策は同国議会が否決した案を超えるものでなければならない」などの発言がEU要人から出ています。

Q: ポルトガルは赤字削減を先送りして、救済されることになって、結局もっと厳しい国民負担増が待っている、自業自得の状態なんですね?
A: 日本も同じ道を歩む危険性がありますので、まったく他人事ではありません。

引用終わり。

いやぁ~救済たったの10兆円で立て直せる国はいいよねぇ。。。と
日本はIMFの介入すら不可能。
アメリカだって、、、(米国債買ってもらってるし、つぶれてしまうと困るけど正面切って支援するかっていうとどうだかね)


ってことで。
日本は終わってるので。

やっぱ結論は

あきらめましょう。


もしくは
生活保護者になりましょう。(もちろん、偽のね、、、財産も収入も別に確保してw)
もしくは
公明党創価学会員ではなく、公明党の候補者(=当選確実の議員)を目指しましょう。
え?どちらも無理?

じゃぁ。。。
今のうちに楽しむだけ楽しんで、、、
日本が破綻したら、、、。。。
。。。
覚悟を決めますか。。。


ってことで。

「あきらめよう!ニッポン!」

これが今の日本に一番ふさわしいキャッチフレーズだと思います。

あ~あきらめるんだなぁ、、、。。。
あきらめたら。
誰も利権と既得権益を主張しなくなればそこに道は開けます。
おそらくそこに人権や権利は存在しないでしょうがw。

だから、「今こそ、あきらめよう!ニッポン!」:イザ! (via 60rpm)


うちのとらまる →

ichirobowl:

最近になってようやく少し情報が出てまいりましたが

家畜たちのことです

人づてに 飼い主さんや行政に見捨てられた

牛や馬がいるということは聞いてました

今回 私一人ボランティアさんより早く入ったので

牛がいるところを訪ねてみました


道路から数十メートル入ったところに牛舎はありました

もちろんそこは20km圏内です

静かで不気味な雰囲気を感じながら歩を進めていきますと

私の足音を察知したのか

牛たちがいっせいに鳴き始めたのです

牛舎に辿り着き

中を覗いてみると

そこは地獄でした

約40頭いた牛の10頭ほどはすでに息絶え

残った子たちもやせ細り

しきりに私に向かって鳴くのです

これほど私は無力感を感じたことはありません

私が動けば

柵の中ではあるけど後を追うようについてくる牛たち

私は ごめんよ ごめんよと

謝りながら写真を撮りました

その次に

怒りが沸いてきて

チキショー チキショーと

呟きながら写真を撮りました

この怒りは

私を含めた人間に対してのものです

大昔から生き物は 他の生き物を狩り または飼育して生きてきました

私は肉が大好きですし それを否定するものではありません

しかし

最近の人間の行動はどうなのか

口蹄疫 鳥インフルエンザ

何百頭 何万羽 という生き物を

いとも簡単に処分してしまう

そうするしかしょうがないにしても

あまりにも命というものを軽んじているのではないでしょうか


その極みが

ここです

飼育されている飼い主さんは

好きで放置しているわけではないのです

放射能で汚染された牛たちを

生かしておいても お金を生むわけではありません

たとえ汚染されていなくても 風評被害で出荷できないでしょう

そうなると

飼い主さんにとって助けるということは到底無理なことなのです

誰が飼い主さんを責める事ができましょう

ボランティアが救出するにしても

大量の牛や馬を運ぶ手段など持っていません

しかも 弱っている子達は 移動に耐えられず死んでしまう場合が多いそうです

私が見た牛たちは ここで餓死するしかないのです

死に方で一番苦しいといわれる餓死

彼らは訳も分からず

糞尿にまみれ

仲間の死体を見ながら

ここで死んでいくのです

ここが

地獄でなくて

どこが地獄なのでしょう


それならば


いっそ安楽死させてやりたいと思いました

しかし

持ち主の許可

安楽死が行える獣医さんに

はたして立ち入り制限地区に入ってもらえるのか

問題は一杯あります


私にできることは

写真を撮り 今起こっている現実を

知らない 知らされていない方々に発信すること

それしかできないのです

今回写真は掲載しません

なぜかといいますと 今週のフライデーに一部写真を使って頂けたからです

その発売より前に写真を出すわけには行かないのです

金曜日が来たら

悲しい 辛い 写真になりますが

皆さんに見ていただきたいです

そして

撮影をした その翌日のお話も書きたいと思います


ちくしょう

ちくしょう


畜生は 私たち人間だ


「今日、外国の記者に『大地震の直後であっても礼儀や秩序を守る姿に世界中が感銘をうけて称賛したが、いま人災を撒き散らす政府に抗議の声もあげない日本人に世界は冷ややかな目を向けている。彼らはただ集団行動をしただけだ』といわれた」

Twitter / Mademoiselle H (via igi)


 本日で閉鎖する予定のブログでしたが、これだけは皆様に読んでいただきたい手記が届きましたので緊急に更新します。防衛省の方を通じていただいた東北の災害現場の生のレポートです。かなり生々しい表現もありますがこれが現実であり希望のための一歩でもあります。

 是非、読んでみてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3月16日(水)

昨日に引き続き、現地視察で野蒜(「のびる」と呼びます。仙石線が行方不明になったところです。)、東松島(松島基地が水没したところです。)、石巻へ行ってきました。

歴史の教科書で、終戦直後の日本の写真がありましたが、いずれもそのイメージです。どこに道があったのか、家があったのか、全く分かりません。瓦礫の山です。そこに道を通すべく(「啓開」といいます。)、瓦礫を片付けていきますが、その下にはたくさんの遺体があります。したがって、重機で無造作に片付けるのではなく、土器の発掘に近いイメージで薄皮をはがすように丁寧に瓦礫を片付けていきます。大変時間がかかります。

瓦礫の山の地域の他に、水没してしまった地域もありますが、発災後5日目となりますと、遺体も大分傷んできます。隊員が遺体を見つけて引き上げようとすると、説明が難しいのですが、さわった部分が溶けてしまって、残りの肉体が沈んでしまいます。それをかき集めながら、なんとか引き上げようと悪戦苦闘しているのですが、思うように作業が進みません。

遺体と向き合う毎日で、さぞや気も滅入るだろうと思いますが、東北気質と申しますか、隊員は雪空の下、黙々と作業をしています。ご遺族もその作業を黙々と見守っていらっしゃいます。本日、ちょうど正午に野蒜に到着したところ、各部隊が昼食をとるなか、一つの部隊だけが、壊滅した家の中を一生懸命に探しておりました。側でご家族がそっと立っておられました。間もなく隊員がご遺体を見つけると、ご遺族は静かに手を合わせて、涙ながらにお礼を述べておられました。

各連隊長と話をしますと、「遺体を捜しながら啓開するので、とにかく作業に時間がかかるんです。」と口々に言っておりました。他方、遺体を扱うだけに、マスコミはそういう現場へは近づかず、実態が分からないために、「自衛隊は作業がのろい、民間の工事であれば、とっくの昔に道が通っているのに。」と言われて、本当にやりきれないとのことでした。「きっと中央でも現場は作業が遅いと不満でしょう?」と言うので、「そんなことはないです、大臣以下、現場のことをよく理解して、皆さんの仕事に敬意をもっていますよ。徳地局長などは現場が大好きで、よく部隊へ出張しますし。」と答えたところ、大変喜んでいました。

東北に来て思ったのは、隊員に「困ったことはありませんか?」と聞いても、必ず「特にありません。満足です。」という回答が返ってくることです。災害派遣でもそうです。しかし、よく隊員の格好を見ますと、水の中に入るときにはく胴長やライナーにかけたヘッドライト、ゴム手袋が各自色違いだったり、デザインが違ったり、「ちぐはぐ」な印象を受けます。いろいろな部隊から来ているからかなと思って聞くと、単に部隊に必要な数がないので、自分たちで買って使っている、「こんなの自衛隊では当たり前のことですよ。」とのことでした。早速、装備部に改善するようお願いしました。部隊生活で、部隊のことを知らない自分に何ができるのだろうかと悩むこともありますが、逆に部隊のことを知らないために、自分にもできることがあるのではないかと少し手応えを感じることができました。

今晩ですが、電気と水が復旧しまして、発災後、初めて白いご飯を食べることができました。カレーライスです。感激です。デザートの菓子パンは明日の朝のために、食べずに持ち帰りました。これでラーメンを食べることができれば、もう思い残すことはないという感じです。風呂には相変わらず入れず、頭が犬のような臭いになってきましたが、理由はわかりませんが、身体は冷えにくくなってきました。今日は一度家に戻って、下着を着替えて来ました。身体は洗えませんが、気分爽快です。久しぶりに子どもにも会えて、嬉しかったです。

3月19日(土)

総監部では、生活支援強化の一環として、入浴支援について、3県と調整を進めています。陸上自衛隊の入浴設備は20セットほどありますが、今回のように広域で被災者数が多くなりますと、全くの不足です。現在、海空米軍にも声をかけていますが、不足であることには変わりません。したがって、銭湯に燃料を優先的に手配したり、東北各地にある温泉まで無料の送迎を提供する等の工夫をした上で、それでも自衛隊に頼らざるを得ない地域に入浴セットを提供したいと考えています(自宅の風呂の復旧は大分時間がかかるようです。)。県にも、少しは汗をかいてもらいたいところですが、自衛隊に「おんぶに抱っこ」で当事者意識がありません。苦労しています。

本日、南相馬市へ行ってきました。念のため、防護服とガスマスクの装着を訓練してから出発しました。まず仙台から南下しまして、山元町(宮城県)→相馬市(福島県)→南相馬市(同)と移動しましたが、南相馬市へ近づくにつれ、一般の車両、特にトラックが皆無となりました。隊区の連隊長の話では、原発20-30km地点は危ない、その近くも危ないということで、一般の物流が途絶えているそうです。この地域は、屋内退避地区で、避難所の他にも自宅で多くの人が生活しておりますので、自衛隊や自治体の救援物資の流れだけでは、全員はまかなえません。一般の物流が不可欠ですが、正確な知識ではないとはいえ、人間心理に関するものだけに、対応が難しいところです。聞いた話では、いわき市でも、物流が途絶えているそうです。いわき市、20-30km地域はごく一部で、そのほとんどが30km圏外なのですが。

今回の震災では、福島県庁や南相馬市の対応がよろしくないとの噂を聞いておりましたが、12旅団30連隊長の話では、県庁に12旅団の幕僚長がLOで出ていることもあり、連携は円滑とのことです。県や市では、住民を30km圏に退避させることを考えていることもあり、実際に、自衛隊の方では、一部の病院や特養について依頼を受け、既に100人以上、避難を実施済みです。また、自宅に退避している者についても、退避させる際には、市の職員が自衛隊の車両に乗り、一緒に自宅を回ることを決めているそうです。ただ、避難させた後の受け入れ先、特に特養や病院にいる者となりますと、県内や市内には同種の施設がありません。さらに、県外については、県のネットワークや力では、受け入れ先を見つけることは簡単ではありません。したがって、県や市の避難準備はどうしても遅くなります。

この地域の部隊ですが、海沿いの地域で、津波により、田んぼと海が一体化したようになっておりますので、捜索に非常に時間がかかっています。湖のような中に家や車が多数浮かんでいます。これまで、水面に出ている車や家をなんとか捜索してきましたが、水中にはまだ多くの家や車が残されています。足場が悪く、重機は運び込めませんので、手作業で少しずつ水を抜いては捜索をしています。昨日、総監から、徐々に生活支援へ重点をシフトするよう指示が出ましたが、この地域ではまだまだ捜索を主とする必要があります。

今日は、少し暖かったためか、周囲には猛烈な臭気が漂っておりました。そうした中で、ときおり遺体が発見されますが、3日前よりも更に傷みがひどく、2倍ほどに膨れ上がった身体を隊員が抱きかかえるように引き上げたりと、相当に悪戦苦闘しておりました。連隊長に話を聞くと、隊員の中には、夢でうなされたり、食事中に胃液がこみ上げてきたりする者も増えてきており、隊員の精神的なダメージが心配です。

帰りに山元町(宮城県)にいる14連隊(金沢)を視察しましたが、最近、被災家屋からの窃盗への対応に苦労していました。「こそ泥」とは言いますが、本当にけしからん話です。今日は土曜日だったこともあり、被災者が多数、自宅や近所を訪れていました。彼らは、たとえ家族が生きていないとしても、せめて遺体だけでも。それすらも叶わないとなれば、倒壊した家の中で、形見になる物はないかと、すがるような思いで探しに来ています。こそ泥は、額にすれば、わずかなものかもしれませんが、家族にとっては、かけがえのないものです。そのため、連隊では、「声かけ運動」をしているそうです。声をかけて、本当に困っている人であれば手助けができますし、不審な者は逃げ出すそうですので、「一石二鳥」となります。

その声かけ運動の成果か、視察中、倒壊した学校跡で、沼の中から、小隊が全員で何かを引き上げておりました。最近、数多く見ているとはいえ、嫌な予感がしましたが、10分ほどして引き上げられたのは、大きな金庫でした。聞けば、学校の先生が、成績表をなんとか全員に配ってあげたいが、沼に埋まってどうにもならない。そこへ小隊が通りかかったそうです。特に子どもが行方不明となってしまった親御さんは、家が流されて全てなくなってしまったので、成績表だけでも形見としてもらえないか、と先生のところにお願いに来るそうです。小隊長は、「方面の偉い人」に見つかってしまったという感じで、「すいません。今後は捜索に集中しますので、今回だけは見逃してください。」と言い訳するのですが、そんな必要は全くない。素晴らしいの一言です。

この小隊長と少し話をしましたが、いつものように「何か不足している物はありませんか?」と聞いたところ、カイロが欲しいとのこと。「冬空の下で、水に浸かっての作業はつらいですよね。」「いえ、夜寝るとき、寒くて仕方ないんです。」。普通、テントの中には、ストーブがあるはずですが、理由を聞くと、到着した日に、避難所の人たちが寒そうにしているので、持っている灯油をすべてあげてしまったそうです。以来、夜は寒くて仕方がないと。意識してみると、視察中、多くの人とすれ違いましたが、頭を下げてくれたり、敬礼をしてくれたり、皆が親しみを表してくれます。東北人は「人に甘すぎる」と言われることもありますが、この災害派遣を通じて思うのは、心の優しさは自衛官に最も必要な素質だということです。優しさがあれば、「きめ細かい対応」とは何か、と難しく考える必要もありません。

嫁が天童の出身ですので、私にとって、東北は「第二の故郷」になりますが、今回、改めて、東北に赴任することができて良かったなと感じています。震災後、多くの人に、大変な時に東北へ来てしまったね、と同情されます。確かに、ご飯は食べられないし、風呂にも入れない、トイレに難渋するし、歯も磨けない。あまり良いことはありませんが、こういう大変な時でも、優しい気持ちを忘れない人たちに囲まれているのは、幸せなことです。厳格な義父とは、2分と会話が持たず、毎回苦労しています。先日、「そんなに東北が好きなら、山形に家を建てようか?」と聞かれ、恐怖のあまり、頭の中が真っ白になってしまいましたが、義父はともかく、やはり東北に家を建てようかなと思っています。

3月20日(日)

本日は記者対応を兼ねて、牡鹿半島の先にある網地島(「あじしま」と読みます。行政上は宮城県石巻市です。)という離島へ行って来ました。霞の目駐屯地(仙台駐屯地から車で10分)から、ヘリで20分程で到着します。

島には約400人が住んでいます。高齢者の方が多いところです。牡鹿半島の先にある鮎川港(女川原発の近くです。)から船で20分、石巻港からも60分の距離にありますが、震災後、定期便は運休となっています。したがって、「孤立地域」に分類されます。私の関心としては、孤立地域の避難所の状況、特に、ツイッターで、「停電で夜は暗くて寒い、このままではお年寄りが死んでしまう」という趣旨の書き込みがありましたので、物資がしっかりと届いているかを確認することにありました。

記者たちが、島の診療所に医薬品が搬送されているところを撮影する間、2時間ほど、隣の避難所で話を聞いてきました。現在、私の嗅覚は異常なまでに発達しておりますので、入ってすぐに、ラーメンと「いも汁」(東北の名物です。仙台風は豚汁のイメージです。)の臭いを探知し、机におにぎりの山を見つけ、少なくとも、食べ物に困っていることはないと判断しました。実際、話を聞くと、ガスは使えるし、井戸水もあり、自衛隊も定期的にヘリで物資を届けますので、食べ物については、むしろ、震災前よりも良いくらいとのことでした。

他方、停電は続き、灯油も節約しているとのことで、「停電で暗くて寒い」との指摘は、あながち嘘ではありません。とはいえ、懐中電灯はあるし(発電機は重油とガソリンを入れ間違えて壊してしまったそうです。)、ストーブも2時まではつけており、室内も40畳くらいのところに20人程度で寝るそうですので、「このままでは・・死んでしまう」かは微妙なところです。

そこで、避難所の皆さんから話を伺いましたが、とにかく皆さん、話すこと話すこと。最高齢の98歳のおばあちゃんは、津波が来るというので、おじいちゃんの遺影を抱えて覚悟をしたが、そこへ青年会が助けに来てくれた、家は流されてしまったが、間一髪、自分は助かることができたとのこと。世話係のような40歳前後の女性は、石巻にいる親戚と連絡がとれず心配で仕方なかったが、昨日、携帯電話のアンテナが奇跡的に1本だけ立ったので、連絡してみたところ、親戚が電話に出てくれて、お互いに泣いて喜んだとのこと。

70歳程度のおばあちゃんは、津波が来るというので、必死で避難所へ駆け上ったが、気が動転していて、山の方へ行ってしまった。夜になって、電気は来ないので、暗闇の中、本当に心細い思いで一人で避難所を探したが、どうしても探せない。海は「うんうん」うなるような音がして、波の音は「ばさーばさー」するし、怖くて仕方がなかった。人の声がかすかに聞こえたので、そちらへ行ったら、ようやく避難所にたどり着いた。しかし、そこも停電で暗いので、怖くてがっかりして「死んでしまいそう」な気持ちになったとのこと。

ツイッターの書き込みの話に似ていますが、「そうですか」「大変な思いをしましたね」「せっかく暗闇から逃れられると思ったのに、避難所も暗いんじゃ、がっかりしますよね」「そうですよね。早く明るい部屋で生活したいですよね」と大声で相槌を打ちながら、「早く電気を復旧させて欲しい。発電機をもっと欲しい」等々の話をとにかく聞き続けると、そのうち落ち着いたのか、「こんなに大きな地震だから、すぐに普通の生活に戻んのは無理な話だな」「命だけでも助かったんだから、感謝しねーとといけねーな」「自衛隊さんには、親切に面倒を見てもらって、ほんど感謝してます」と言ってくれるようになりました。

まだ1ヶ所しか避難所をまわっていませんので、勝手に結論を出すのはいけませんが、この避難所について言えば、確かに、歯ブラシ、楊枝、電池、携帯のアンテナは足りないようです。ただ、皆さんが一番求めているのは、人とのつながり、自分の感じた恐怖や喜びを他の人と分かちたいという「気持ち」のように感じられました。失礼な例えかもしれませんが、私の6歳の息子も、「遊んでくれないと死んじゃう!」とよく言うのですが、ポイントは「死んじゃう」ではなく、かまって欲しい点にあります。

避難所の皆さんとは、今日初めて会ったとは思えない親近感がありましたが、私も被災者の一人ということが大きいようです。私の話、八戸で地震があり、なんとか近くの八戸駐屯地へたどり着いたものの、新幹線は故障、高速は通行止めで、仙台へ帰る手段がなかったこと。1日かけて、自衛隊の車両を乗り継いで、なんとか仙台へ帰って来たが、途中、電話がつながらず、どうしても家族の安否が確認できなかったこと。ニュースでは、仙台は震度6、大津波、大火事とのことで、心配で仕方なく、車中で、娘が初めて笑ったときの顔や、息子が私の顔の絵を描いてくれたことなどが思い出され、どうにも涙がとまらなかったこと。家に着いたが、家族の姿はなく、家の中は本棚などが倒れて、荒れていたこと。呆然と職場にたどり着いたときに、家族が元気で職場に避難していたのを見つけ、脱力して座り込んでしまったこと、等々を話すと、皆さんも、いちいち肯いては、涙を流しながら聞いてくれました。

金曜日に指示が出され、生活支援へ重点をシフトしていくこととなりました。今後、質量ともに今までよりも充実した支援ができると思いますが、自衛隊の支援も「計画経済」に変わりませんので、避難所にいる皆さんの需要を完全に満たすことはできません。これからも不満は多数出されることになると思います。その際、必要な物資を速やかに提供することも大切ですが、皆さんの不満や意見、身の上話などを丁寧に聞いていくことも忘れてはいけません。場合によっては、「物が欲しい」は口実で「話がしたい」が本命かもしれません。

本当は、こういう対応を市町村に期待したいところですが、先日、石巻市を訪れたところでは、関係者は涙目で、呆然としていて何をしたらいいのか分からないという感じでした。手ぶらでは避難所に行けない、避難所に行かないからニーズが分からない、ニーズが分からないから救援物資を配分できない、配分しないので避難所に物が不足する、物が不足しているので手ぶらでは避難所に行けない・・という悪循環で、石巻総合運動公園には、市役所の物資は倉庫にあふれ、配分するために待機している自衛隊の車両もたくさん並んでいました。

しかしながら、「ないものねだり」は意味がありません。何よりも避難所の人たちは制服を着た人、特に緑色の自衛隊の人と話したいということであれば、自衛隊の方で何とかしないといけません。いよいよ、明日から即応予備自衛官の運用が開始されますが、東北方の彼らは、数は50人と少ないですが、みな被災者で、同じ境遇の人たちの気持ちは痛いほどよく分かります。総監も積極的に活用していくとのことですので、今後、大いに活躍できる場があると思います。

ちなみに、私はいま、自衛官と同じ迷彩服を着ていますが、避難所から帰る際に、6歳の男の子に声をかけられまして、一緒に写真を撮って欲しいとお願いされました。「将来はおじさんみたいな自衛官になるんだ!」とのことです。本当は私は自衛官ではないのですが。続けて、「でも、おじさんみたいに太りたくはないけど」と。元気いっぱいです。よけいなお世話です。でも、ちょっと嬉しかったです。

3月21日(月)

本日は東松島市と遺体の搬送・埋葬の調整に追われました。現場のために、防衛省の方で、厚労省へ強く働きかけていただき、大変嬉しい限りですが、市を動かすのはなかなか難しい作業です。結局、埋葬は市が契約する業者に任せることとし、搬送は自衛隊が行うこととなりました。遺体は600体、丁寧に埋葬する必要があるため、毎日60体を10日間で搬送します。トラック4台と10人前後がこの作業を行います。市の方は、職員や消防関係は手一杯で搬送できない、業者も見つからない、見つかったとしてもガソリンがない、と誠意のない対応で、腹立たしい限りですが、ここは頭を切り替えて、冷静に考えますと、資源配分という問題が出てきます。

東松島市と調整中、石巻市と女川町からも同じ依頼があり、石巻市の依頼も受託、女川町については明日細部を調整することになりました。今後、同じように、沿海の各市町村から依頼が来ますと、自衛隊の車両のかなりの部分を遺体の搬送に振り向ける必要が出てきます。現在、遺体の捜索を行いつつ、徐々に生活支援へ重点をシフトしておりますが、その際の輸送力の何割かが、遺体の搬送に充てられることになります。一昨日、沿海の現場を訪れた際に、強烈な臭気がありましたので、遺体の埋葬は待ったなしです。他方、業者の話を聞きますと、民間の物流の復旧にはあと1週間はかかるそうですので、それまでの物資の輸送も必要です。どちらをとるべきか、悩ましい判断です。現場としては、可能な限り自治体で対応してもらえると助かりますので、引き続き、厚労省へ働きかけていただけますと幸です

この他、救援物資が流れているかを確認するため、宮城県が指定している4ヶ所の物資の集積場を視察してきました。4ヶ所ともに、昨日までは搬入される一方で在庫が過剰だったが、今日から大分搬出されるようになったとのことです。少しは流れが良くなってきたようです。他方、暖房器具や毛布等の集積場である日通の担当者と話をしたところ、「県は何を恐れて、配給計画を修正ばかりしているのでしょうか」とご立腹でした。

民間業者であれば、過剰生産、過剰販売で返品の山となれば大赤字となってしまいますが、救援物資については、収支の勘定を合わせるのが目的ではなく、避難所が不足しないようにすることだけを考えればいい。となれば、細かい点を気にせずに、丼勘定で、○○市の避難所にいる人数は1000人、不足するリスクを考慮し、多少の増加を見込んで、食事は「だいたい」何食、毛布は「おおよそ」何枚、それで配ってしまえばいいではないか、とのことです。現在、県は集積場を4ヶ所からさらに3ヶ所増やすそうですが、在庫を増やすのではなく、物を流通させないといけない、と担当者は力説しておりました。県も、避難所の皆さんのため、見積りを間違ってはいけないというプレッシャーがあるのかもしれませんが、結果的には、在庫が積み上がる一方で本末転倒となっています。

細部の話になりますが、宮城県(仙台市)の「売り」は、集積場を、食品、衣類、生活用品、暖房類と機能別に集積していることです。しかし、避難所へ物資を輸送する際には、機能別に食品だけを持って避難所を回るのではなく、○○避難所には食品×2、衣類×1、生活用品×3、暖房類×2、△△避難所へは・・と避難所ごとに分類して輸送します。一つの避難所へ輸送するだけでも4ヶ所の集積場を回る必要がありますが、2tトラックとなりますと複数の避難所へ輸送しますので、積み荷だけで何回も集積場をぐるぐると回る必要があり、本当に非効率です。総監部からは、行政副長が県庁へリエゾンとして出ておりますが、アドバイスをしても、聞く耳をもたないそうです。自衛隊の言うことを聞いてくれないのであれば、民間業者を手足として使うのではなく、頭脳をお借りしていただくという手もありますが、県の理解を得るのは、なかなか難しいです。

Hope is on the Way : (緊急更新)震災の最前線の模様(ある防衛省の方の報告その1) (via artsalt)


kashino:

(via 基準値の根拠を追う:放射性ヨウ素の暫定規制値のケース[2011/04/06]:コラム - 持続可能な社会実現に向けた評価研究部門 | 産総研 AIST RISS)

“食品の暫定規制値は多くの専門家やマスメディアが言っているような「1年間摂取し続けた場合の値」ではなくて、「1回のイベントで汚染された食品をその後摂取し続けた場合」の値なのだ。半減期に応じて汚染がどんどん減り続けることが前提なので、継続的な放射性物質の排出があるような場合には当てはまらない。乳児の暫定規制値の100Bq/Kg を1年間飲み続けたら、甲状腺等価線量135mSv/年になってしまう。これは、暫定規制値の計算が前提としている1回きりのイベントで100Bq/Kgになった場合の甲状腺等価線量である3mSv の44倍になる。逆に、1年間摂取し続けて当初通りの割り当て線量の11.1mSv になる飲料水の放射性ヨウ素線量は 12Bq/kg となる。”

—-

なんと、こういうことだったのか。暫定規制値の計算は「一回の汚染のみを考慮し、その汚染が減衰する」という仮定なのか。汚染が継続的に行われている現状のような場合は、オーダーがまったく違ってくる。つまり、許容される基準値はずっと小さくなるのか。

よく考えるとわかるけれど、「暫定規制値」なる数字が独り歩きして「暫定規制値以下なら安全」と考えるのはかなり危険であるということだね。

この産総研の岸本充生さんの記事では、計算過程も省かず記してあるから、是非とも自分の手で計算することをすすめるな。

kashino:

(via 基準値の根拠を追う:放射性ヨウ素の暫定規制値のケース[2011/04/06]:コラム - 持続可能な社会実現に向けた評価研究部門 | 産総研 AIST RISS)

“食品の暫定規制値は多くの専門家やマスメディアが言っているような「1年間摂取し続けた場合の値」ではなくて、「1回のイベントで汚染された食品をその後摂取し続けた場合」の値なのだ。半減期に応じて汚染がどんどん減り続けることが前提なので、継続的な放射性物質の排出があるような場合には当てはまらない。乳児の暫定規制値の100Bq/Kg を1年間飲み続けたら、甲状腺等価線量135mSv/年になってしまう。これは、暫定規制値の計算が前提としている1回きりのイベントで100Bq/Kgになった場合の甲状腺等価線量である3mSv の44倍になる。逆に、1年間摂取し続けて当初通りの割り当て線量の11.1mSv になる飲料水の放射性ヨウ素線量は 12Bq/kg となる。”

—-

なんと、こういうことだったのか。暫定規制値の計算は「一回の汚染のみを考慮し、その汚染が減衰する」という仮定なのか。汚染が継続的に行われている現状のような場合は、オーダーがまったく違ってくる。つまり、許容される基準値はずっと小さくなるのか。

よく考えるとわかるけれど、「暫定規制値」なる数字が独り歩きして「暫定規制値以下なら安全」と考えるのはかなり危険であるということだね。

この産総研の岸本充生さんの記事では、計算過程も省かず記してあるから、是非とも自分の手で計算することをすすめるな。


東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。

 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。

 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。

 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。

 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。

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 11日、東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京で震災の一報を知る。心配する同行者に「情報がない」と漏らし顔をゆがめた。衛星携帯で本店と連絡を取り続けたが、帰国できたのは翌12日。清水正孝社長も出張先の関西から帰京できない。東電はトップ不在のまま対策本部を置く。

 一方、官邸の緊急災害対策本部。当初、直接東電とやりとりするのではなく経済産業省の原子力安全・保安院を窓口にした。「原子炉は現状では大丈夫です」。保安院は東電の見立てを報告した。

 しかし、事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。菅首相は11日夕、公邸にいる伸子夫人に電話で「東工大の名簿をすぐに探してくれ」と頼んだ。信頼できる母校の学者に助言を求めるためだった。

 11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。

 官邸は東電役員を呼びつけた。原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請した。しかし東電は動かない。マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある。

 「一企業には重すぎる決断だ」。東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。

 翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は「事業者の自主的な措置」と位置づけられている。

 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。

 事故を防ぐための備えは考えられていた。しかし、それでも起きた時にどう対応できるか。班目委員長は取材に「自分の不明を恥じる」と言ったうえで、こう述べた。「その備えが足りなかった」

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 東日本大震災から人も国も再び立ち上がるには何が必要なのか。教訓を得るというには重すぎる出来事を後世にどう伝えればいいのか。あらゆる現場を見つめ直し、長い時間をかけて考え続けなければならない。随時掲載する「検証 大震災」の初回は、かつてない原発の大事故に政府や東電が当初どう対処したのかを報告する。【震災検証取材班】

福島第1原発 東電、ベント着手遅れ 首相「おれが話す」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース (via tiga)